光学設計とその周辺、そしてたまに全く関係ないやつ

学んだことを書き留めていきたいと思いますが、ありふれたことを書いても人類の進歩に貢献しないので、専門的な事柄をメインにしたいと思います。なお私の専門とは光学設計とか画像処理とかです。

光学設計の仕事論

大学で産業的な光学を学ぶ機会がなく, IT産業のように情報が多いわけでもない光学設計の仕事はなかなか一般的な事情を知る機会は少ない. 実際本ブログの著者も提示される設計を日々こなし, 気づけばそこそこの年数が経っているのだが, 自分の設計の進め方が本当に正しいのか, また技術者として体系に沿った設計技術を学んでいるのか不安に感じることもあります.

そんな時ふと以下のリンク先の論文に触れる機会を得ました. 内容は実用的な光学設計を学ぶために大学生向けの大学の光学設計カリキュラムの内容はどうあるべきか*1, また設計者として会社でキャリアを始めたばかりの若いエンジニア向けにどんなことを優先的に学ぶべきかが取り上げられている. 実際の設計も交えながら様々なことを扱っているが、特に2.2節の光学設計の設計ポリシーと4.2節の巷で扱われているわりにあまり実用性のない内容の2つがおもしろいと感じたためブログ記事として紹介したい. 著者はNASAのジェット推進研究所*2に勤めているPantazis Mouroulis氏である.

www.spiedigitallibrary.org

The young engineer's survival kit (若手エンジニア向けの設計指針)

1)Three words: simplify, simplify, simplify.
とにかくシンプルな設計を心がけよう
光学設計者なら一度は露光装置のような複雑な光学系を設計したいと思うかもしれないが, エレメントの数が多い/複雑な形状の面形状を用いるような設計は, コスト高はもちろんのこと設計後の検証にその分時間と手間が必要となる. さらにマウント固定も複雑になったりと予想以上に負担がおおきくなることも多い. あとになって苦労しないように可能な限りシンプルであるべきだ.

2)Design with cost in mind from the beginning.
始めからコストを念頭に置いて設計しよう
低コストを重視するのはもちろんなのだがここで説明されているのは高コストの設計とは結局光学系として複雑になりがちであるため, 先述した1)のシンプルな設計を心がけるという意味で低コスト性を重視すると論文では説明されている.

3)Eliminate the middleman.
仲介者をなるべく省く
独立でもしない限りふつうは本当のエンドユーザーと設計者の間には営業や企画の立場の人がいるだろう. そして顧客要求はそういった多くの場合光学設計になじみのない人物を通して伝えられるが, その内容をうのみにせず, 顧客が本当に求めていることを仕様に落とすことが重要である. これは下の6)と本質的には同じことのように感じる.

4)Forget "first-cut" designs*3
おそらく意味としてはラフな設計を最初に行うのではなく, 始めからシステム全体の要件を考慮した設計を行うべき, という意味だと思う。
実はこの論文にいろんなトピックがある中でほぼ唯一この項目のみいまいち腑に落ちないところがあった. 本ブログ著者はどちらかというと小型の光学製品を扱うことが多いのだが, 一方論文著者は航空産業に所属しており, そういった産業の違いがあるのかもしれない.

5)Question "impossible" specifications.
実現不可能な要求は正す
理論的に不可能な仕様が提示されることは意外と多い. でも不可能な要件はやはり不可能. これは光学の理論は一般の人には比較的わかりづらいことも一因としてあるのではと個人的に思う. 例えば物体-レンズ間のないが距離と高倍率の両立が難しいということや輝度不変性などはわかりづらい(少なくともうまく説明することが難しいです). 無理なものは無理であるということをきちんと説明できるスキル・ある種の交渉力は重要である. あとこういう話はお客さんより社内のメンバーに説明するほうが大変であることも度々.

6)Think on the customer's behalf.
顧客自身も認識していない真の課題を見つけ、顧客重視の志向をもつ
まぁこれはどんな職種・仕事にも言えますね.

7)Try to keep up with developments by reading the current literature.
最新文献に触れ技術の発展についていく
ソフトウェア技術に比べれれば光学設計の進展は大したレベルではないがかもしれないが*4, むしろだからこそ最新の光学技術には触れておきたい. 設計ソフトの開発元が定期的に開くセミナーや学会などを聞いてみるというのが一番参加しやすい. 光学設計そのものに加え周辺技術, 例えば画像処理やあとははやり現代はプログラミングなども必須ではないか. また個人的に有効だと思うのは自分のメインの製品以外の光学設計にも触れる機会をもつことである. 例えばカメラ用レンズを扱うことがメインの設計者だったら、ミラーを使った偏心光学系の設計理論から得られることは多いと思う.

Material used rarely or never

有名(?)なほど実際の現場では用いられないトピックが以下の通り。あまり優先的に学ぶ必要はない事柄である。

1)Higher order abberation theory
高次収差論
理論が複雑で, 実際の設計では最適化が勝手に異なる次数の収差のバランスをとってくれるので, 数式を使った理論として深く学ぶ必要はない. きちんと扱っている文献もそうないため, そもそも知る機会も少ないです. 個人的に和書で知っている唯一扱っている図書は松居 吉哉さんのレンズ設計法のみ. そもそも5次収差まで考慮しても完全には光線追跡の結果とは合わないんですよね. 球面収差や非点収差などは縦収差で見るときに3次の収差と5次(もしくはそれ以上)の収差のバランスがとれているかどうかが見やすいので, そのくらいでしょう.

2)Coddington's equations. Conrady's D-d chromatic sum, offence against the sine condition, and other similar formulas
これらはいずれも光学系の性能を評価する際に, 近似的ではあるがより高速に計算することができる理論である. ただ今どきの高性能なコンピュータを前提とすれば, こういった計算量を抑えるための近似手法の重要性は低くなっている. というか個人的には利用したことはほとんどない.

3)Third order correction by hand computation and thin lens pre-design
手計算と薄肉レンズによる3次収差補正
この論文が発表された2005年はいざ知らず, 少なくともこの記事を書いている2021年には少なくとも手計算で収差設計をすることは実務ではないのではと思う. そもそも高次収差とのバランスを考えると3次収差を0にすればよいという話でもないですし. ただ学び始めの1度くらいは例えばトリプレットレンズぐらいの計算は教育目的として必要ではないかとも思う. こういった経験がどのくらいOJTで用意されているのかどうかは不明だが, もし独学で取り組みたいなら以下の高橋 友刀先生の「レンズ設計」という本は参考になると思う.
http://shop.optronics.co.jp/products/detail.php?product_id=184

4)Ray fans
ファン光線、つまり多数の光線追跡をレンズ図として表示すること.
内容としてはおそらく"松居吉哉(1972)『レンズ設計法』共立出版"の3.4節の多数の光線を用いて表す方法のことと思う. もしくは単なる横収差図のことか.
個人的には設計初期段階では収差図で確認するより, まずは5,7本の光線で集光具合を図として確認することは大勢の様子を把握するのに有効だとは思う. なお性能確認とはなんとなく仕事をしているっぽさが醸し出せる(?)こともあるので, 個人的には使うことはあります.

5)Eikonal. What?
アイコナール方程式とか. 実際この理論を使って計算で何か設計をしようということはない.
ただ光学系の結像理論が実は質点の力学と密接につながりがあったりとか, 輝度不変則とLiouville の定理, そしてフェルマーの原理経路積分は本質的には同じであり量子力学とも通じるものがある等の話は業務で役立たないにせよ話し物としてはおもしろいとは思うし, このような志向は科学の現場で最も用いられてきた光学機器に携わるエンジニアには重要ではないだろうか.

論文の引用・説明としては以上. 以下個人的にも日々重要だと思うことをせっかくなので真似してまとめてみました.

1)最初から完璧な設計を目指さない
光学設計さらには技術職に限らずどんな職種にも通じることだろうが, 100%の完成度を時間をかけて目指すより50%の完成度でよいのでまずは早く設計をプロジェクトで共有するべきである. 光学設計の場合では機構設計や他の要請からせっかく設計した内容も多少は後で修正せざるを得ないことが多々ある. 最初から100%の完成度を目指すことは結果的に徒労に終わることがほとんど.

2)多少性能は犠牲にしても、汎用的な設計を目指そう
光学素子を一から新たに製造するのはお金も時間もかかること. コンポーネント的な製品というよりは光学システムの仕事の場合は特にその必要性がないように, なるべく多くの製品に共通化できるような光学設計を目指すべきであり, そのために多少性能が犠牲になることも認めるべきと思う.

3)Max Bornの本を読む必要はない?
別にこの本で扱っているトピックを学ぶ必要はないといっているわけではなく, ただ同じトピックを学ぶにはもっとわかりやすい文献を利用したほうが明らかに効率が良い, ということを言いたい. 個人的におすすめなのは朝倉書店から出版されている光学ライブラリーシリーズはとっつきやすいと思い, 少なくとも回折/フーリエ光学/結晶光学を学ぶならこの本からにしたほうがよい. まぁただそれでもごくまれに光学の原理でしか扱ってないこともあるのも事実. ただしそれを知ったからといって設計結果が変わっていただろうか?

4)まずは設計ソフトを触ってみる
光学に限らずどんな分野の設計でも設計ソフトの機能に頼るではなく, まずは自分の頭でちゃんと考えよう, ということはよく言われます. もちろんそれは正しいのですが, 本当に光学設計の仕事をし始める際はどうせ教科書を見ても身にならないので, まずは設計ソフトを触ってみてなんとなくの雰囲気をつかむということから始めるというのもよいのではと思います.

5)設計ソフトはバグがある
光学設計に限った話ではないですが, 何100万もするソフトでも割とバグがあります. 見た目とかならまだしも, たまにシミュレーション結果に大きく影響するようなバグもあったりします. そのシミュレーション結果が理論的に妥当かどうか判断できるようにやはりちゃんと理論を学んでおきましょう.

*1:アメリカでは光学設計者のキャリア育成は日本のようにOJTメインではなく, 大学でも光学設計をコースとして用意されている. 特にアリゾナ大学COLLEGE OF OPTICAL SCIENCESとロチェスター大学The Institute of Opticsが機関として有名.

*2:例えばソフトウェアエンジニアにとって最も名誉ある職場がGAFAであるように, 光学設計者にとって最も名誉ある職場はNASAとかJAXAではなかろうか

*3:英語でfirst-cutというとたたき台, ドラフトの意味のようだ

*4:なんせ大部分の光学設計は原理的には数百年前に発見されたスネルの法則に基づいている